kikkiiのブログ

ひきこもり

6月だ

今日はこれを繰り返し聴いている。


これが6月の初ブログ。もう6月の18日だ。5月は何も書かなかった。5月に何をしていたのか...あまり覚えていないが、家族と花を見に行ったのは覚えている。

そういえば、去年も一回、父親が運転する車に乗って家族と花を見に行った。去年家族でどこかにいったのはそれ一回きりだった。今年も花を見に行こうと誘われたので行ってみた。

BGMとして浪曲が車の中で、私はほとんど話さなかった。どうして浪曲を聴くのかすこし気になったがわからないままだった。その浪曲をいいとか悪いとか批評できるような空気ではなかったので、何も言わず私は広沢虎造浪曲を聴いた。

車の窓から見た空とか山などについて「綺麗だね」と家族の人間が言ったことには同意を示したりはした。海沿いの道を走っていたので海を見てその先の外国のことを想像した。

花を見に行った。よくわからないが、それぐらいしか私が加わった形での私たち家族には外出する理由なんてないのだろう。私に何らかの症状がなければならないとして、「お前の状態は年に一回か二回ぐらいは花を見に行ってよい状態である」と診断をつければ家族の中で腑に落ちる感じなのかなと思う。

debian系のlinuxでサクッとhaskellの環境をつくる

「サクッとhaskellのコードの補完を使いたいだけ」という感じパッケージを入れては消して、タイトにまとめたかったからゴチャゴチャしてきたらlinuxを初期化して何度か試した結果に残ったことをメモする。


debian系のlinuxhaskellの環境をつくる。最初haskell-ide-engineというのを使おうと思ったが、うまくいかなかった。このページを参考にさせてもらってvscodeの拡張のhaskeroを使うことにしたら、うまくいった。4GBぐらい容量を消費してしまう。

まずは次。

sudo apt update
sudo apt install haskell-platform 

そしてstackを入れる

curl -sSL https://get.haskellstack.org/ | sh

そして.bashrcという名前のファイルに次を追記

export PATH="$HOME/.local/bin:$PATH"

あとはvscodeを入れてから、このページと同じように、

# 新規プロジェクト作成
stack new testproject
cd testproject/

# セットアップ
stack setup

# コード補完用のパッケージをビルド
stack build intero

# VSCodeを開く
code .

として、vscodeを開いてから、テキストエディタの中でhaskeroという拡張をインストールして終わり。

debian系のlinuxにテキストエディタのvscodeとatomをインストール

忘れるので「何となくやったら出来た」ことをメモしておく。debian系ないしubuntuベースのlinuxテキストエディタvscodeatomをインストールする。


vscodeから。まずはここで .deb という拡張子がついたソースをダウンロードする。そして落としたものが入っているデイレクトリまで移動。

cd ~/Downloads 

ちゃんと入っているかどうかを確認。

ls
code_1.22.2-1523551015_amd64.deb

それからこのページの最初に書いてあるコマンドを打つだけ。 < file >.deb となっている部分を上で ls を打って確認したcode_1.22.2-1523551015_amd64.debに置き換えて実行する。最初のコマンドを打ったときに依存関係のエラーが出ても気にせず第2のコマンドを打つ。それで私はインストールできた。

sudo dpkg -i code_1.22.2-1523551015_amd64.deb.deb
sudo apt-get install -f

起動。

code

次はatomここで .deb という拡張子がついたソースをダウンロードする。そして落としたものが入っているデイレクトリまで移動。

cd ~/Downloads 

ちゃんと入っているかどうかを確認。

ls
atom-amd64.deb

そして、またvscodeのときと同じ作業。

sudo dpkg -i atom-amd64.deb
sudo apt-get install -f

起動。

atom

2018年04月23日

難しいから諦めた。そして単純なことをなるべく音を立てないように繰り返した。失敗しているかもしれないことも蓋をしたまま同じように繰り返した。誰かが助けを求めてきても「今は精一杯」という気持ちで耳を塞いで同じことを繰り返した。そうすることは毎日自分の周りを掃除をするようなことであり、それは小さくてもよいことだと思った。そうしたら、あるとき乾いた風がすさぶ荒野で一人ぼっちになっていることに気づいて、なぜかそういう状況になっていく人々の干からびた顔のことを想像して、その中に含まれている自分に遠くから憐憫して、情けなくなり、悲しくなった。