2018年10月16日
多分何かを守ってきたから今がある。「私が守ってきたものは何だろう?」とふと思った。
まず私には、地球とか、あるいは国や文化を守っできたという感覚はない。私はそんな大きなものは大きなものは守れていない。私が守ってきたものがあるとしたら、もっと身近なものだ。心の習慣のような私と一体化したもの。
嫌いな人がいるとする。その人を見ると、大きな嫌悪感。でも、そういう人も自由に自分がしたい事をしてもいい。私はそれを破壊してはならない。私は嫌いな人を攻撃したくても攻撃しないようにする。私はそういう事は守ろうとしてきた。
そしてそもそも、嫌な人には近づきたくない。関わるべきではない、逃げろ。シャットダウンする、見ないようにすべきだ。しかし、逃げられない場合もある。たとえ生活がネットだけだったしても、生活していると、別の人の生活と触れたり見えたりする事になって、そこから嫌悪感は侵入してくる。
だから私は壁をつくってきた。生活も周りで固執する嫌悪感と共にありながら、その嫌悪感に負けないようにするための壁。私が守ってきたと言えるものはこういう壁だと思う。これからも私は壁をつくり自分自身を囲むだろう。