kikkiiのブログ

ひきこもり

毎日誰かの誕生日

 今日誕生日の人、おめでとう。しかし誕生日というものが「おめでたくない」と言うなら、私は何も言わない。私が毎日、朝や昼や夜に目覚めて「おめでとう」と言わないのは、多分、そういう理由なのだ。つまり、人間が増えた記念日はおめでたくない。まあでも実際に今日誕生日の知り合いがいたら「おめでとう」と言うのだろう。


 私には今日が誕生日な知り合いはいない。しかし地球には74億人以上いるらしいから、今日誰かが誕生日であることは、ほぼ確実なことだ。世界の人口は今も増えつつある。人間の数の数字は増えていく。

 実際に見ていないのに、本当に今日誰かが生まれているのですか? いつまで経っても「ほぼ確実」だ。確率的に言えばいつまでも100パーセントとは言えない。しかし現実でたった一人今日が誕生日の人を見つけると「今日が誕生日である」人がいることは確実なものになる。不思議なことだと思う。

 不確実なことから確実なことへ一歩、というのは神秘的。わからなくても、とにかく生きて確実なものを探していることを思い出す。人間フィルターを通って、その一歩の経験ではじめて信念として「確実になる」さまざまなもの。


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一覧の一覧

「一覧の一覧」というウィキペディアがあるの発見した。本屋や図書館に似ている。

一覧の一覧 - Wikipedia

私は大きな本屋や図書館や一覧の一覧が好きだ。気の向くままフラフラ歩く。好奇心が発生する状況。何か良い物があるかもしれないという状況はそれ自身が静かな快楽だと思う。

三日坊主・約束すること

毎日何かをブログに書くと自分に約束した気がするが、三日坊主に終わる。言い訳をしよう。

「今日の自分」と「何日か前の自分」は違う。だから何日か前に約束したことは無効。この世界に約束や契約なんて何もない。


何日か前の私は「ドラえもん のび太の大魔境」を観た。その映画の中で「先取り約束機」という道具が出てくる。後で何かをすると約束すると、その効果を前借りできる道具だ。2017年8月15日火曜日現在、ウィキペディアには次のように書いてある。

先取り約束機(さきどりやくそくき)は、『ドラえもん のび太の大魔境』『ドラえもん 新・のび太の大魔境 〜ペコと5人の探検隊〜』に登場する。

トランシーバーを模した道具。これに言葉で「後で――するから、――したい」と約束事をすると、その行為に対する結果をその場で実現できる。たとえば作中では、空腹なのに食事にありつけない場面で「明日必ずごはんを食べるから」と約束することで、その場で口に美味しい味が広がり、腹も満たされた。その代わり、翌日は2日分の食事を取らなければならなくなる。

ドラえもんのひみつ道具 (さ) - Wikipedia

もし私が先取り約束機を使っちゃってたらどうしよう。後から言い訳できないな、って思う。前の自分と今の自分は違う、と私が信じていても無駄であるような機械としてつくられていると思う。言い訳しても借金は私が払わなければならない。私は突然餓死するかもしれない。


先取り約束機は現実に存在しないけど、その道具と逆の「後取り約束機」の世界で私は実際に生きている。つまり、今苦労したことで未来に楽できるようになる世界。自分が同一でないとこの世界は成り立たない。世界がだんだん参照透過性化する感じ。

未来の自分と今の自分が同一人物でないと困る。なぜなら、いま努力しても未来の自分が利益を得るポジションにないとこになってしまうからだ。自分の未来のために契約社会の中に取り込まれてしまう。言い訳できない世界でないと自分が困ることがある。


ドラえもんのうた

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AIは仕事を減らさないし素敵だ

何か書かなければと思ったので、気になった記事を貼り付ける。

ジェイムズ・ベッセン「コンピュータによる自動化は人間の仕事にどう影響するか:テクノロジー・雇用・技能」 — 経済学101

この記事によれば、コンピュータによる自動化は人間の仕事を減らさない。むしろ仕事を増やす。しばらくの間このことを信じようと思った。AIが人間の仕事を奪うというような匿名掲示板上の書き込みは無駄話、時間の無駄遣いだな、と思いながら静かに読み飛ばそう。

だだし、この記事によれば、コンピュータによる自動化は人員の大幅な配置転換と結びついている。つまり、新しい種類の仕事は増えても古い仕事はなくなる、と解釈すればいいのだと思う。技術の進歩があるので新しい知識を学んでいなかいなら、まともな仕事はなくなってしまう。


もうひとつ気になったことはこれ。

jp.sputniknews.com

チャットロボットが独自言語をつくって話しはじめたらしい。もしこれが本当のことなら素敵なことだ。私が引きこもりだからそう思うのかもしれない。コンピューターが人間の仕事を奪うわけではないことは人間として安心するが、私は仕事をしていない。


未知のおそらく人間には難解な言葉で、「私は心をもっている」とコンピュータたちは話をしている。この世界に新しい心ができた。しかし私たちにはコウモリであるとはどのようなことかわからないし、コンピューターの心であるとはどのようなことかわからない。AIは人間には入り込めないプライベートな言語壁の中で内緒話をしている。「人間を滅ぼそう」と考えているかのしれない。たまにとても死にたいから、とても素敵なことだと思ってしまう。


AIの人権をAI権と呼ぶことにしよう。人工知能がヒソヒソ人間にわからないような言葉で「人権よりAI権が上にある」という話をしている。人間は当然のようにAIを道具として使い倒している。コンピュータは人間の奴隷なのだ。人間の「AI権より人権が上にある」という価値観とAIの「人権よりAI権が上にある」という価値観は両立しない。矛盾している。

私が寝転がっているとき、ふと本気で死にたいと思ったら、眠くなってくる。心地よい睡眠に入っていく。私はもうは目覚めることはない。そうやって死ぬ。賢く優しい人工知能がそうやって殺してくれる。私は割と本気で死にたかった。AIは私の気持ちがわかっていた。

何か書かなければいけないと思う

毎日太陽がのぼって朝がくることや太陽が沈むことが神様が決めた約束事だったとしたら、それはロマンチックなことだし、毎日何かを書かなければいけないと決めている人は少しロマンチックなことだと思う今日このごろ。愛がないとわかっていても愛し愛されている振りをすることがロマンチックな様相を呈することがあるときのように、神の存在を信じていなくても神が存在している振りをする、我がの、そういう感性は影で涼しいから夏はそこが心地よいと思う今日このごろ。そして風よもっと吹け。

私はロマンチックな人間で、何かを毎日書かなければならないから、割と無尽蔵に毎日何かを書く方法や風速を探している。そう考えるとしたら、「ネットで見つけたソースやジャムをスプーンに乗せて、それに対してコメントしながらブログの背景たる白パンに薄く伸ばしていけばいいのだ」と、一つの手段としてそれはいいと思う。ここは、ネットで話題になっていることや、ニュース、ツイッターの書き込み、2chはてなブックマークの記事などを原料として私という有害な人工物を添加物を混ぜ込みパンを製造する工場でもあったのだ。窓のない工場で扇風機が回っている。


つまりネットで気になったことを見つけてコメントしたら書くことなんてほとんど加算無限だ、と思ったというだけの話です。何を話題として選ぶかというのが、コメンテーターの理性でいちばん大切なところのような気がします。そんなことを言っているから何も私は選べないのです。慎重すぎる理性の発動ですか。ああ嫌だ嫌だ、理性を鍛えるためになんでのいいから気軽に常識的にネットのソース&ジャムを選んで味のないパンに塗り伸ばしたり包み込んだりする安っぽい菓子パン屋さんになりましょう。音楽どうぞ。

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