kikkiiのブログ

ひきこもり

何かをする理由

何かをする理由を言葉にしなれればならないのか、あるいはしなくてもいいのか、どちらかなんだろうけれど、前者が正しい場合、信じられるのは、回りくどい長文ではない。結局、信じられるのは、長すぎない詩だ。それのいくつもの束が私の動機だ。動かなかったら死んでいることと同じであるから、それは私である理由だ。

 

私の今のところの理解のあり方では、感情とは報酬体系のモードのことである。ある感情が芽生えると、球体に進むべき道のトゲトゲが生えるイメージ。生命という基礎的な母体から芽生えるそれぞれの感情の目的地が同じではない。感情によってどんな行動をする傾向が強くなるかが変わってくる。

 

人との出会いや芸術でもたらされるような新しい感情は新しい目的をボトムアップ的に創造する。人生に目的はない、としたら目的を創りださなければならない。実際今、私は人生に目的は感じない。だとしたら、私は他者や私自身に新しい感情を誕生させるような詩を紡ぐ人であればいい。語彙や興味深い概念を収集し流浪するアメーバになればいい。

 

恥ずかしがりやなので、それを中心に隠し持って生きる。あるいは「これは詭弁か?」と心が曇るから隠したいのかもしれない。