私は注意欠陥・多動性障害気味なんだと思う。一つのことに集中するのが難しい。今日は「クルーグマン ミクロ経済学」と「クルーグマン マクロ経済学」という経済学の教科書が目につく。
ミクロ経済学の方は何年か前に読み終わったが、内容は忘れてしまっている。もう一度読む気力はいまのところない。マクロ経済学の方は積んだまま読んでいないから、読みたいと思っている。
ミクロ経済学とマクロ経済学の第1章から第4章までは内容は同じ。第1章は、経済学が前提としている基本的な9つの基本的な原理、個人選択に関わる原理4つ、個人選択の相互作用に関わる原理が5つ、が書かれている。今日はそこをふらふらと写経して本の除霊だ。
●個人選択の経済学の基礎にある4つの原理
- 資源*1は希少*2だ
- 何かの本当の費用は、それを手に入れるためにあなたがあきらめなければならないことだ*3
- 「どれだけか」というのは、限界での意思決定だ*4
- 人々は通常、自分の暮らしを良くする機会を見逃さない*5
●個人選択の相互作用の経済学の基礎にある5つの原理
- 取引は利益をもたらす*6
- 市場は均衡に向かう*7
- 社会的目標を実現するため、資源はできるだけ効率的に用いなければならない*8
- 市場は通常は効率を達成する*9
- 市場が効率を達成しない場合には、政府の介入が社会的厚生を高める可能性がある*10
*1:資源とは、何かを生産するのに使えるもののことだ。
*2:資源が生産的用途を満たすほどないとき希少であると呼ばれる。市場で資源に価格がつけられることによって、その資源が誰にどのくらい分配されるかが(見えざる手によって)管理されている。
*4:何かの活動をもうちょっとだけ増やすか、あるいはもうちょっとだけ減らすかの決定は限界的決定である。
*5:しかも、そのような機会を使い尽くすまで、つまり完膚なきまでに徹底的に利用し続けるだろう。人々は賢くかつgreedyであるようだ。人々の行動を変えたければ、人々が金に群がる習性を利用してインセンティブを管理しなければならない。私は機会を見逃し続けるから落ちこぼれ、暮らしが良くない。
*6:特化・分業してその成果を他の人々と取引すると、1人で自給自足する人より社会全体として多くのモノを生産できる。自分が相対的に得意なことをして交換すれば社会の役に立つ、と比較優位性の考え方は教えてくれる。
*7:ある経済状況にあって何か違うことをしても誰も自分の暮らしを改善できなくなったとき、その状況は均衡の状態にあると言われる。
*8:経済学者が言う効率的とは、資源が上手く用いられ、みんなの暮らしをよくするためにあらゆる機会が活用し尽くされているような状態、という大層なことであるらしい。