kikkiiのブログ

ひきこもり

2018年 12月 28日 金曜日

親を見ていると「こんなふうにはなりたくない」とよく思う。心の底から拒絶したくなる部分が見えてくる。しかし親から受け継いだ遺伝子の影響からは逃れられない。

遺伝子と環境が人間の人格や能力を決める。「遺伝子は自分にずっとついてくる環境」と考えると、全部が環境だと考えることができる。遺伝子という環境からは逃げても逃げても永遠に逃げられない。年を取れば取るほど親に似てくる。遺伝子の影響はいつまでも自分に影響してきて長期的に効いてきて、どんな環境よりも影響が大きい環境だ。

だから特別に注意して自分をつくっていかなければ本当にまずいことになる。ただ息をしているだけだと、悪い自分自身の遺伝子に自然と引き込まれて私は悪いことをする。年を取れば取るほど頑張らないと、「絶対なりたくない」って思っていた人間に自分がなってしまう。

2018年12月25日火曜日(クリスマス)

今日はクリスマス。キリストの誕生日。つれづれなるままなのでキリスト教の『聖書』でも読んでみようと思った。

新約聖書の『マタイによる福音書』を開き、第1章から読みはじめる。家系図の組み立てキットみたいな文章からはじまってハードル高い。第1章には、イエス・キリストの誕生の次第が書いてあるようだ。

ただ読んだだけでは頭に残らず流れていくだけで読んだ気がしない。Graphvizを使って図にしてみた。分かりにくい図ができてしまったが、作ってしまったので、せっかくだから見せたい。

f:id:kikkii:20181225141037p:plain

普通に手で家系図を書いた方が読みやすいのが描けたと思う。この家系図は少し蛇 のようだ。これが私のクリスマスの成果。


上の図はGraphvizをそのまま書くのではなくDonutsGraphvizcommon lispで書けるツール)を使った。family-treeという名前の関数に『マタイによる福音書』第1章の内容を写経した。

(defun family-tree ()
  ($$ (& (:layout :dot)
       ;;1:1アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。
       (-> "アブラハム" "ダビデ" :label "子")
       ;;1:2アブラハムはイサクの父であり、
       ;;イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、
       (-> "イサク" "アブラハム" :label "父")
       (-> "ヤコブ" "イサク" :label "父")
       (-> "ユダ" "ヤコブ" :label "父")
       ;;1:3ユダはタマルによるパレスとザラとの父、
       ;;パレスはエスロンの父、エスロンはアラムの父、
       (-> "パレス" "ユダ" :label "父")
       (-> "ザラ" "ユダ" :label "父")
       (-> "パレス" "タマル" :label "母")
       (-> "ザラ" "タマル" :label "母")
       (-> "エスロン" "パレス" :label "父")
       (-> "アラム" "エスロン" :label "父")
       ;;1:4アラムはアミナダブの父、
       ;;アミナダブはナアソンの父、ナアソンはサルモンの父、
       (-> "アミナダブ" "アラム" :label "父")
       (-> "ナアソン" "アミナダブ" :label "父")
       (-> "サルモン" "ナアソン" :label "父")
       ;;1:5サルモンはラハブによるボアズの父、
       ;;ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、
       (-> "ボアズ" "サルモン" :label "父")
       (-> "ボアズ" "ラハブ" :label "母")
       (-> "オベデ" "ボアズ" :label "父")
       (-> "オベデ" "ルツ" :label "母")
       (-> "エッサイ" "オベデ" :label "父")
       ;;1:6エッサイはダビデ王の父であった。
       ;;ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、
       (-> "ダビデ王" "エッサイ" :label "父")
       (-> "ソロモン" "ダビデ王" :label "父")
       (-> "ソロモン" "ウリヤ" :label "母")
       ;;1:7ソロモンはレハベアムの父、
       ;;レハベアムはアビヤの父、アビヤはアサの父、
       (-> "レハベアム" "ソロモン" :label "父")
       (-> "アビヤ" "レハベアム" :label "父")
       (-> "アサ" "アビヤ" :label "父")
       ;;1:8アサはヨサパテの父、
       ;;ヨサパテはヨラムの父、ヨラムはウジヤの父、
       (-> "ヨサパテ" "アサ" :label "父")
       (-> "ヨラム" "ヨサパテ" :label "父")
       (-> "ウジヤ" "ヨラム" :label "父")
       ;;1:9ウジヤはヨタムの父、
       ;;ヨタムはアハズの父、アハズはヒゼキヤの父、
       (-> "ヨタム" "ウジヤ" :label "父")
       (-> "アハズ" "ヨタム" :label "父")
       (-> "ヒゼキヤ" "アハズ" :label "父")
       ;;1:10ヒゼキヤはマナセの父、
       ;;マナセはアモンの父、アモンはヨシヤの父、
       (-> "マナセ" "ヒゼキヤ" :label "父")
       (-> "アモン" "マナセ" :label "父")
       (-> "ヨシヤ" "アモン" :label "父")
       ;;1:11ヨシヤはバビロンへ移されたころ、
       ;;エコニヤとその兄弟たちとの父となった。 
       (-> "エコニヤ" "ヨシヤ" :label "父")
       ;;1:12バビロンへ移されたのち、エコニヤはサラテルの父となった。
       ;;サラテルはゾロバベルの父、
       (-> "サラテル" "エコニヤ" :label "父")
       (-> "ゾロバベル" "サラテル" :label "父")
       ;;1:13ゾロバベルはアビウデの父、
       ;;アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、
       (-> "アビウデ" "ゾロバベル" :label "父")
       (-> "エリヤキム" "アビウデ" :label "父")
       (-> "アゾル" "エリヤキム" :label "父")
       ;;1:14アゾルはサドクの父、
       ;;サドクはアキムの父、アキムはエリウデの父、
       (-> "サドク" "アゾル" :label "父")
       (-> "アキム" "サドク" :label "父")
       (-> "エリウデ" "アキム" :label "父")
       ;;1:15エリウデはエレアザルの父、
       ;;エレアザルはマタンの父、マタンはヤコブの父、 
       (-> "エレアザル" "エリウデ" :label "父")
       (-> "マタン" "エレアザル" :label "父")
       (-> "ヤコブ" "マタン" :label "父")
       ;;1:16ヤコブはマリヤの夫ヨセフの父であった。
       ;;このマリヤからキリストといわれるイエスがお生れになった。 
       (-> "ヨセフ" "ヤコブ" :label "父")
       (-> "マリヤ" "ヨセフ" :label "夫")
       (-> "マリヤ" (<> "イエス・キリスト" :color :red) :label "子"))))

REPLで使う。

CL-USER> (ql:quickload :donuts)

CL-USER> (in-package :donuts)

;;上の関数 family-tree を読み込んでから
DONUTS> (family-tree)

関数family-treeの2行めの(:layout :dot)の部分の:dot:neatoとか:fdpとか:sfdpとか:twopiとか:circoとかに書き換えるとレイアウトを変更できる。


(:layout :fdp)

f:id:kikkii:20181225142253p:plain


(:layout :neato)

f:id:kikkii:20181225142227p:plain

夕暮れの鳥を聴いて涙が出る

youtu.be

神聖かまってちゃんの『夕暮れの鳥』。この曲は前にもブログに貼った事があるかもしれない。神聖かまってちゃんの曲はこれしか知らないし、進撃の巨人も見たことないんだけど、この曲をたまに聴くと涙が止まらなくなる事がある。どうなってるの。涙の源は? 今勝手に感じている事を書く。


何年も前に中断してしまった切実な願い。いやもっとその想いは古くて、何十年も前に中断してしまった切実な願いかもしなれない。自分の力ではどうしようもない力で辞めさせられた事。いくつもある終わった事。そことの通信手段がぶっ壊れたまま時間が過ぎていった。

曲を聴くと、終わってないと感じる。昔と同じような感性と無知だった自分を思い出せるような気がしてくる。行き場のない魂は行き場のない魂として保存されている。無垢は無垢のまま保たれている。保留されたまま、まだ待っててくれている。その時の自分の声や周りの人間の声が聴こえている気がする。

ぶっ壊れていた不毛な中間地帯があっても、いつかつながって私は自分を取り戻すかもしれない。昔の続きをやり遂げて、私の思いはずっと変わらなかった、と言える日が来るかもしなれない。

気が散る

憑依しなければ身にならない

と思いついた。前にも思いついて書いたことかもしれないが、自分に響く短い言葉だと思った。ある一つの何かをやっているとき、その主題に憑依してして取り組む。必要ならば怨念ともなる。演じてそのシミュレーションが終わったら現実に戻る。

一つのことをやっていると「こんなことしていていいのだろうか?」と疑念が出てきて進まない。そういうことが頻繁に起きすぎて私は参っている。集中するためにはそんな自分がいないようにすればいいのだ。