部屋を片付けていたら失くしたと思っていた印鑑が出てきたのでよかった。
未開封のボードゲームも出てきた。12月から住み込みで働くことになっている寮にはこういう物を持って行ったらいいのだろうか。
忘れていたものが出てきたら嬉しい。
だから日記を書くべきなのかもしれない。日記を書くことによって、忘れたものがいつか出てくるトラップを仕掛ける。人工的に後で探していたものが出てくる環境をつくり、後で自分を嬉しくさせることができるしれない。
忘れると言えば、linuxや何かのパッケージのインストールの手順や設定のやり方は必ず忘れている。だから参考にしたwebページのリンクをまとめたり、自分なりの手順を書き残しておくべきだといつも思う。
それで、書き残していたものを頼りに再インストールしているときは、書き残しておいてよかったと思う。
忘れるから何かの手順や日記を書き残しておくといいのだ。それはいい。
でも、「書くと忘れる」ということがあるらしい。何かの記事で読んだ。どの記事かは忘れたが、たとえば次のような記事で読んだ。
https://wired.jp/2015/01/17/taking-notes-is-no-good/
忘れるから書く。書くから忘れる。だから忘れないためにまた書く。このループで以前より忘れるのが怖くなりさらに書かないといけないと思えてくる。書かないと生きていたことを忘れてしまうと思い込んでいく。
これは「書く」ミームの策略っぽいなと思う。書くと忘れるというのは、書かないと忘れるという恐怖を増大させていき「書く」という行為を人間にさせるため生まれた精神構造かもしれないと思えてくる。