真にランダムに変化するものは掴めない。私たちは気まぐれには変化しない安定したパターンに「なる」ことしか望めない。ころころ心変わりしていたら「それ」にはなれない能力者や人格者になるために、「何かになりたい」と思わなければ、すべての努力は潰れていく。でも、なりたいものが刻々と変わる。細切れの時間の寄せ集めはバラバラな塵芥。私は衝動的になりたいものつぶやく。私はゴミ。だからせめて色々楽しいものになりたい。おもしろいゴミは「おもちゃ」だから。
腹が減ってないのに食べてしまう
3年ぐらい前、精神病院に見舞いに行ったとき、薬の副作用なのか、その人は震えながら「食事が待ち遠しい。食べることしか楽しみがない」と言っていた。その言葉を何度も思い出してしまう。その言葉と一緒に「隔離病棟」「カルト」「たった一つの教義」と私の中の誰かがざわざわする。現在ひきこもり状態の自分がそのことに恨まれ、呪われ、洗脳され続けているって、心憂い気持ちだ。
ゆらゆら
私はとうとう昆虫にもなれなくて、くぼみにハマって動かなくなった銀色の球体になってしまった。落ちてきたときは運動エネルギーを持って穴の中でゆらゆらもがいていた。でもどんどん動けなくなっていった。なんでもいいから揺らぎを増幅していく必要がある。夢製の金属で制作された夢のようなブランコを見つけて、そこに通い続けよう。
強くなりたい。殺人的にしぶとくなりたい。ぴょんぴょん、格闘家が敵と対峙するときのように揺れながら攻撃力のあるルーティンをつくろう。どんな敵も倒す予測不可能性を持ったリズムになろう。
それで、ゆらゆらしなきゃと思ったのだ。連想クイズ的に「ゆらゆら帝国」を聴いた。やっぱり、音楽は大事。底で生きている人を動かしてくれる。色んな経路で隅々までたどりついてくる。
どうでもいいことが止まらない
イライラする。こういうときにはカルシウムを摂取するとよろしい、という噂話を思い出して、牛乳を飲んだ。そして寝る。あるいは、どうでもいい動画を漁る。
何故どうでもいいことをしてしまうのか。まず今、何かどうでもよくない作業に没頭しているとしよう。しかし、そこで邪魔が入る。集中できなくなる。イライラする。真っ直ぐな線や綺麗な曲線がグニャリ、怒りか湧く。とにかく気分がよくない。気晴らしだ。
だから、どうでもいいことをする。その状態では邪魔が入ってもいい。私がやっていることは取るに足らない「どうでもいいこと」なのだから、むしろ、邪魔が入って中断されるのは嬉しい。
邪魔に対するストレスに強い状態なので、どうでもいいことは辞められない。無気力を防衛手段として使っている。
怒りで手近なモノを破壊しながら、やがて大切なモノをぶち壊した後の世界に引き込まれていく。エントロピーを増大させる悪魔に雑音を流しこまれ、いつか必ず敗北する。